12.30.2014

伊勢崎賢治『本当の戦争の話をしよう』第二回

第2回
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう ――世界の「対立」を仕切る』を2015年1月15日に刊行いたします。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る、2012年1、2月に福島県立福島高等学校でおこなった5日間の講義録。「講義の前に」の後編をお届けします。「紛争屋」がプレハブ校舎にて、高校生に本気で語った、日本人と戦争のこれから。(編集部)

講義の前に(その2)


「ならず者国家」は無軌道?

僕は今、学者の端くれで、通称PCS(Peace & Conflict Studies)、「平和と紛争」学と訳されるようなものを、世界の紛争地域からやってきた外国人学生たちに教え、研究しています。対象はどちらかというと、イラクやアフガニスタンで今でも続いている現代の戦争に重点を置いている(PCSは「平和構築学」と訳される場合もあります。でも、平和って紛争を克服するものだろうから、僕は「紛争」のない名称って、ちょっとどうかなと思っているんだ)。

一方、平和学というものもあります。内容は重なる部分が多いのですが、両方とも、第二次世界大戦が終わった後にアメリカを中心にできた、新しい学問領域です。やはり、死者総数5千5百万人という途方もない犠牲を出した歴史を二度と繰り返してはならないという気持ちが、このふたつの学問の誕生に作用したのでしょう。

平和学と「平和と紛争」学って、どう違うんですか?

これも「平和」の概念と同じように、あまりはっきりしません(笑)。どちらも戦争を研究するのだけど、平和学のほうは、あきらかに戦争の予防を目指しているように思える。つまり、かなりはっきりと、戦争を悪として捉えています。政治行為としての戦争に反対するのだから、平和学自身が、すでにひとつの政治行為だともいえる。だから学問として公平・客観的ではない、平和学はひとつの政治思想であって学問ではない、という批判もできます。

「平和と紛争」学は、こういう性格の平和学と一線を画したいようです。もう少し善悪を超えて戦争を捉え、争いを生む国家間、民族間の対立とその因果関係を淡々と冷淡に読み解く。
条件Aと条件Bがそろったとき、Xの一押しがあると、人はためらいなく殺し合う……みたいな理論を見つけ出して興に入る。こんな感じかな(笑)。


そういう僕は、実務家として、戦争がもたらす被害の現実をイヤというほど見てきた人間です。気持ちは平和学にある。というより、人文系の学問すべてに対して、もし戦争という人間性に反する行為を、未来に向けて回避しようという動機がなかったら、学問に何の意味があるのか、そう考える自分が常にいます。

でも、その一方で、戦争を悪として糾弾し、真正面から対抗することが、本当に戦争の予防につながるのか。それは、もしかしたら戦争に付き物の「武勇」を反動でいきり立たせ、逆に戦争する動機を煽ってしまうかもしれない……。こんな葛藤が、僕にとっての「平和と紛争」学なのです。

12.27.2014

伊勢﨑賢治 『本当の戦争の話をしよう』第一回

第1回
伊勢崎賢治さんの『本当の戦争の話をしよう』を2015年1月15日に刊行いたします。伊勢崎さんが「気がついたときには、こちらが丸裸にされていた」と語る、2012年1、2月に福島県立福島高等学校でおこなった5日間の講義録です。まず、序章の「講義の前に」からお届けいたします。「紛争屋」がプレハブ校舎にて、高校生に本気で語った、日本人と戦争のこれから。ぜひお読みください。(編集部)

講義の前に


「経験者の話」を聞く前提

こんにちは。今日から5日間、みなさんと戦争、そして平和というものを考えていきたいと思います。休日に、こういうテーマの授業に志願して集まってくれた18人のみなさんは、高校生のなかでも、きっとユニークな人たちなんだろうと思う(笑)。今は高校2年生で、春から3年と聞いているけど、というと、何歳かな?

遅生まれは16歳で、だいたい17歳です。

そうか、若いね。僕の2人の息子よりも。僕が君たちぐらいのときだったら、休日を返上して授業に出るなんて、しなかっただろうな、絶対(笑)。

ふだん、僕は東京外国語大学という、世界で話されている26ヵ国の言語と、その地域の文化や政治を研究する大学で教えています。僕が受けもつ大学院のゼミに集まる学生は、全員外国からの留学生たちです。アフガニスタン、イラク、イラン、ミャンマー、ボスニア・ヘルツェゴビナなど、現在戦争や内戦の問題を抱えている国、もしくは大きな内戦がやっと終わり、再発の不安を抱えながら新しい一歩を踏み出しつつある国からやってくるんだ。そこで彼らと何をやっているかは、おいおい話しますね。

今は大学で働いていますが、その前の仕事場は彼らの側、紛争の現場でした。国連や日本政府の立場で、戦争や内戦で混乱している場所に行き、対立している武装勢力と交渉、説得して武器を捨てさせる―「武装解除」といいますが、そんな仕事をしていました。ずっと紛争を飯のタネにしているわけだから、自嘲気味に、他人の不幸で儲ける「紛争屋」と名乗っています。

12.26.2014

『理不尽な進化』「絶滅の視点から世界を眺める」ブックリスト



『理不尽な進化』刊行記念! 著者の吉川浩満さんに「絶滅の視点から世界を眺める」と題して、進化思想と人間存在をめぐる本を選んでいただきました! その数、42冊。『理不尽な進化』とあわせてお楽しみください。

★ブックフェアを開催してくださる書店さんを募集しております。吉川浩満さんがそれぞれの本へコメントを付した、配布できるB6サイズの小冊子をご用意します。ぜひご連絡ください。(編集部)

著者からのコメント
地球上に出現する生物種の99.9パーセント以上が絶滅してしまうことを知っているだろうか。しかもその多くは、能力が劣っているからというより、たんに運が悪いせいで滅んでしまうことも。おなじみの「適者生存」や「優勝劣敗」は、むしろ限られた状況でしか通用しないスローガンなのだ。生命の歴史は理不尽さに満ちている。そこで、普段あたりまえのように採用している「競争と生き残り」の観点ではなく、「絶滅と運」の観点から生命の歴史を眺めてみよう。すると、これまで見たこともなかったような眺望が開けてくるはずだ。

11.26.2014

イロイロイロ|第2回


下東史明

第2回 イロイロ違いとモノ違い

車体のイロに注目した、まったくあたらしい発想の鉄道本『トレインイロ』が、今回、電子書籍になりました。これを記念して、著者の下東史明さんに、イロとモノの見方についてのエッセイを寄稿いただます。このイメージはいったい何…? 第2回です。お楽しみください!(編集部)

『トレインイロ』
書籍版:
朝日出版社ウェブサイトAmazonhontoジュンク堂書店紀伊国屋書店楽天ブックス
電子書籍版:
honto楽天ブックスBookLiveE-honebookjapan | 紀伊国屋書店
★『トレインイロ』の壁紙ダウンロードできます。
http://www.asahipress.com/event/train.html
(全部で8種類。サイズはすべて1024×768ピクセル)

前回は三つの事例とともに、モノ一般を「正面以外から」「複数並べて」見ることの面白さについてご覧に入れました。
今回は図形のレイアウトを同じにしたまま色を変えるだけで、イメージが浮かぶ形象も変わる事例についてご紹介します。

正確な比率ではありませんがAは日の丸を抽象化したものです。


A


円の色を金色に、周囲を赤色に変換するとBになります。


B


これは一体、何でしょう。

10.09.2014

理不尽な進化 まえがき



本ブログで2011年から2013年にわたって連載していた『理不尽な進化』が、このたび書籍になります。2014年10月25日から書店店頭にならびはじめます。これまで連載を読んでくださってありがとうございます。大幅な加筆修正がなされ、最後にはおもわず息をのむ眺望がまっていますので、ぜひ本を手に取ってみていただけるとうれしいです。本の「まえがき」を公開いたします。(編集部)


ま え が き


この本のテーマ

この本は「理不尽な進化」と題されている。ちょっと変なタイトルかもしれない(私もそう思う)。そもそも、進化が理不尽であるとは、どういう意味だろうか。

私たちはふつう、生物の進化を生き残りの観点から見ている。進化論は、生存闘争を勝ち抜いて生存に成功する者、すなわち適者の条件を問う。そうすることで、生き物たちがどのようにしてその姿形や行動を変化させながら環境に適応してきたかを説明する。そこで描かれる生物の歴史は、紆余曲折はあれどサクセスストーリーの歴史だ。生き残った生物は、なんらかの点で生存に有利だったからこそ生き残ったのだから。

10.08.2014

断片的なものの社会学 第8回「笑いと自由」


岸 政彦


第8回「笑いと自由」


本ブログで2013年末から1年間にわたって連載していた『断片的なものの社会学』が、このたび書籍になります。2015年6月はじめから書店店頭に並ぶ予定です。これまで連載を読んでくださってありがとうございました。書き下ろし4本に、『新潮』および『早稲田文学』掲載のエッセイを加えて1冊になります。どうぞよろしくお願いいたします!(編集部)


先日、ある地方議会で、男性議員からの、女性議員に対するとても深刻なセクハラヤジがあり、メディアでも大きく取り上げられて問題になっていたが、そのとき印象的だったのは、ヤジを飛ばされているちょうどそのとき、その女性議員がかすかに笑ったことだった。

あの笑いはいったい何だろうと考えている。

*  *  *

仕事でも、あるいは個人的にも、いろんな人たちとお付き合いがあり、なかでも自分の研究や教育、社会活動の関係で、いわゆるマイノリティとか差別とか人権とかそういう活動をしている人たちと友だちになることが多い。





ある在日コリアンの男性で、私が心から尊敬して信頼している友人がいるのだが、彼がいつもくだらないことばかり言う。さすがに詳しくはここでは書けないが、非常に不謹慎で、自虐的なネタを言うことも多い。携帯に着信があって取ると「こんにちは、北朝鮮のスパイですけど」とか言われる。不謹慎以前にスベっていることも多く、どう返していいかわからないので、大半は何か適当にごにょごにょとつぶやいている。彼のふだんの、真面目で地道で真摯な活動をよく知っているだけに、いつも困る。

沖縄で、基地問題や沖縄戦の研究で非常に著名な方から、「内地留学」のお話を伺ったことがある。沖縄では、復帰前に本土の大学や大学院に進学することを、「内地留学」とか「本土進学」という言い方をしていた。本土へ来るのにパスポートが必要な時代だった。自分の家族と親戚がいちどだけ、わざわざ沖縄から会いに来たことがあって、東京の繁華街の真ん中で待ち合わせたときに「向うのほうから真っ黒い顔の集団がやってきて、どこの土人かと思ったら、僕の家族だったよ」と言って大笑いをしていた。私は曖昧かつ間抜けな笑みをうかべて、あははと小さく笑うしかなかった。

部落問題について研究している連れ合いの齋藤直子が、関西のある被差別部落の青年会の人たちと車で一緒に移動しているときに、また別のもうひとつの被差別部落の横を通りかかったら、青年たちが「なんか臭いな」「なんか臭いで」「ここ部落ちゃうか」「ここ部落やで」と言いながら大笑いしていたそうだ。

*  *  *

9.27.2014

渡し舟の上で:現存被曝状況から、現存被曝状況へ|安東量子+ジャック・ロシャール



渡し舟の上で

Sur la barque des passeurs

現存被曝状況から、現存被曝状況へ

entre deux situations d'exposition existante
――第1回――
安東量子+ジャック・ロシャール
Ryoko Ando et Jacques Lochard

「原発事故以降、福島を巡って巻き起こる声は、そこに住む人間にすれば、すべて、住民を置き去りにしたもののように感じられました。
誰もが、当事者をないがしろにして、何かを語りたがっている状況に、私は、強い違和感を感じました。おそらく、怒りと言っていいのだと思います。
私がこんな事をはじめた理由は、自分達のことは、自分達自身で語るしかないのだ、という思いが根底にあります。
ただ、そんな中、ICRP111だけが、私たちに寄り添ってくれたものであるように感じられました」

こう書いたのが、「福島のエートス」☆☆代表を務める安東量子さんでした。2012年3月のことです。

この文章にある「ICRP111」とは何でしょうか。民間の非営利団体である国際放射線防護委員会(ICRP)が、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故後、放射性物質に汚染された土地で、そこに住む人々の回復 (rehabilitation)を模索した成果です。被災地域の住民や行政との対話を通してその任に当たった専門家たち──そのひとりがロシャールさんです──が、この文書を2009年にまとめました☆☆☆

邦題はたいへん長いもので、「原子力事故または放射線緊急事態後の長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用」と言います。

安東さんとロシャールさんは、2011年の冬以降、この3年弱のあいだ、電子メールを使って、やがて直接顔を合わせることによって、対話を重ね、経験を共有してこられました。

ロシャールさんは、あるインタビューでこう語っています。

「私は川をはさんでこちら側と向こう側の岸を行き来する小さな船の渡守です。チェルノブイリと福島の橋渡し。それと福島と、広島、長崎とのあいだ。まだチェルノブイリ事故の教訓は完全に総括されていませんが、これからは福島に学ぶことが多い。現代から未来へ、二つの事故の記憶も伝えていきます」☆☆☆☆

この往復書簡「渡し舟の上で」では、おふたりの経験と思いを綴っていただく予定です。原子力発電所事故による災厄の、個人的な側面と集団的な側面の結節点が、読者にゆっくりと伝わることを念じています。〔編集部〕

Pour lire les textes français, cliquez ici.



親愛なるジャック


日本は長い梅雨の終わりにさしかかっています。先日、寝る前にふと自宅の玄関を開けたら、目の前に小さな黄緑色の光が浮かんでいました。一瞬なんのことかわからず、その後すぐに、それが蛍であることに気づきました。

あなたの国でも蛍は飛びますか? 日本では、蛍の光を亡くなった人の魂に喩える人もいます。私の亡くなった祖母がそうでした。かつて、彼女が話してくれたことがあります。

祖父を亡くした年の夏、親戚の家で夜更けまで話し込んだ帰り道、タクシーを降りた先に蛍が飛んでいたそうです。蛍は、家路を導くように玄関先までいざない、そして、その晩はずっと同じ場所で、時に光り、時に消えながらたたずんでいた。そう、祖母は笑いながら、私に話しました。その時の、幸せそうな安堵感をたたえた祖母の言葉は、今でもはっきりと私の耳に残っています。

「おばあさんな、ああ、おじいさんが帰ってきたんじゃ、と思ったんじゃ」。

私は、それまで、こうした物語を一切信じない人間でした。けれど、祖母の話を聞き、強く心に残ったこのエピソードに何度か思いを巡らせた後、考えを変えました。人の暮らしの豊穣さ、人間が生きることの本質は、こうした些細な物語のうちにあるのではないかと思うようになったからです。

今でも、私は、それが祖父の魂であったとは信じていません。けれど、それが嘘でも本当でもどちらでもいい、そう信じた祖母の語りと、その笑顔にこそ、なによりも大切なものがある、と、そう信じています。

私があなたに書く手紙の冒頭に、こんなことを書くのはなぜなのでしょう。

それは、私があなたと出会うことになった奥底には、こんなささやかな私的な経験が眠っているような気がするからです。


2012年の2月、福島県伊達市のICRPダイアログセミナーで、私があなたと最初に出会ったのは、大雪の日でした。普段は2時間程度で到着する道のりを、6時間もかけて、私は会場に到着したのでした。2011年3月の震災から、まだ1年経たないあの頃は、いまだ、それ以前には経験したことのない異常な緊張感に満たされていたことを思い出します。もしかすると怒声さえ飛び交うのではないかと感じさせる会場の席に、大幅に遅刻して座った私が感じていたことがわかりますか? 会場の暖房が効きすぎたり、効かなすぎたりすることを気にかけながら、私は、司会のあなた言うことが、なぜ、こんなに自分の思考と重なるのだろう、と不思議に思っていたのでした。

それよりも少し前、あなたが書いたICRP111勧告を、私が最初に読んだのは、2011年の10月頃だったと思います。評判では、哲学的で理解しがたいというそれを、私が読んでみる気になったのは、震災後の混乱の中で、とにかくどこかに道筋はないかと探し続けたいくつもの悪あがきのひとつでした。

私が、それまでに地元で小さな放射線の勉強会を開いていたことを、あなたはよくご存知ですね。それは、よくある、けれど、私なりに工夫をこらした放射線の正しい知識を得るための勉強会でした。地元の顔見知りに声をかけ、参加者を集めたその勉強会の経験を通じて、私が強く感じたのは、これは、私たちが必要としているものではない、ということでした。私たちに必要なのは、勉強のための知識ではなく、もっと現実に即した、自分たち自身の現実に向き合うための具体的な方途なのだと私は直感し、けれど、そのためにはどうすればいいのかわからず、その手がかりを探していたのでした。

本当のことを言えば、よくある行政文書のような堅苦しく、形式ばって、それでいて中身は薄い、そんな文書を想像していました。あまり、というよりも、ほとんどまったく期待せずに、当時、日本で目にすることができたICRP111勧告の抄訳版を一読し、私の予想は裏切られました。大きな驚きとともに、心に浮かんだ最初の感想は、「これは私たちのために書かれたものだ」というものでした。

私は、その頃、苛立ち、怒り、悲しみ、そうした暗い感情に満たされていました。なにか光になるものはないか、と探し続けていました。ICRP111勧告は、私が最初に見つけた光、と言っていいと思います。

細かな部分は理解できていなかったと思います。けれど、これが、原子力被災地の被災者のために書かれたものである、ということは、はっきりとわかりました。全体を通して、どこまでも、そこに住む人間にとって不利益にならないよう、それでいて、現実的に被災者の役に立つように、慎重な配慮が施されていることが、強く感じ取られました。同時に、ひどく不思議に思ったのでした。

なぜ、こうしたものが書かれることが可能となったのだろう? 専門家の団体であるというICRPから出された勧告であるのに、その視点は、十分すぎるほどに、そこに暮らす人間のものであるとしか思えなかったのです。

その理由が知りたくて、私が行き着いたのが、あなたがチェルノブイリ事故後10年を経て、ベラルーシで取り組んだというエートスプロジェクトでした。そのことについては、この先、あなたに語ってもらった方がいいですね、きっと。

そして、冒頭に書いた蛍に話を戻しましょう。

私が、ICRP111勧告の後ろに見たのは、無数の飛び交う蛍の光だったのだろうと思うのです。あなたが経験し、あなたが共に語り合ったベラルーシの人々の小さな小さなささやかな、それでいて力強く、時にか弱く、喜び、悲しみ、絶望、希望、あらゆる感情に満たされた、無数の物語。それらがあの勧告文の後ろに、静かに、けれど、はっきりと明滅しています。祖母が愛おしんだ蛍と、その光は、私の中で重なり、同じようにあたたかく光を放ちます。

私は、その豊穣さを抱きしめます。なによりも、信ずるに値するものとして。

2014年7月11日

台風が素通りした日に

安東量子

8.29.2014

イロイロイロ|第1回  横から、上から、または並べて。


下東史明

第1回  横から、上から、または並べて。

車体のイロに注目した、まったくあたらしい発想の鉄道本『トレインイロ』が、今回、電子書籍になりました。これを記念して、著者の下東史明さんに、イロとモノの見方についてのエッセイを寄稿いただます。見慣れたモノも、ちょっと違う角度から見てみると…? お楽しみください!(編集部)

『トレインイロ』
書籍版:
朝日出版社ウェブサイトAmazonhontoジュンク堂書店紀伊国屋書店楽天ブックス
電子書籍版:
honto楽天ブックスBookLiveE-honebookjapan | 紀伊国屋書店

★『トレインイロ』の壁紙ダウンロードできます。
http://www.asahipress.com/event/train.html
(全部で8種類。サイズはすべて1024×768ピクセル)


このたび電子書籍になった拙著『トレインイロ』は、鉄道車両を横から見て抽象化していましたが、車両に限定せず対象を拡げれば、モノ一般は、横からだけでなく、もっと数多くの方向から見直すことができます。

見る方向・角度でガラリと見え方が違ってくるという事態は、誰でも経験していることなのです。僕たちは、知らず知らず、モノの一面だけを見てしまいがちであることを、いくつかの事例を通してご覧に入れたいと思います。

Aは皆さん、何に見えますか?

A

多くの人はダーツもしくはルーレットと見たと思います。

次にBをご覧ください。

B

スイカかな?と思われた方が多いのではないでしょうか。

では次のCはどうでしょう?


C


これもスイカを抽象化したものです。
横に並べてみましょう。C'です。

C'

8.14.2014

加藤陽子さんが選ぶ2014年夏に読んでほしい本

全国の書店でフェア開催中・加藤陽子さんがセレクトした、今年の夏に読んでほしい本10冊と、メッセージをお届けします。加藤陽子さんの似顔絵は、牧野伊三夫さんによるもの。選書フェアでは、各書籍の紹介付き小冊子も配布しています。末尾に掲載しているフェア開催書店さんで、ぜひお手に取ってみてください。(編集部)


『〈戦後〉が若かった頃』とは、私の愛してやまない仏文学者・海老坂武氏の自伝のタイトルです。

今ふりかえれば、戦後日本の若さを支えていたのは、大戦争の惨禍をくぐった後の省察に立った非戦力であったことに気づかされます。

日本を支えてきた大前提が一つの内閣の短慮で崩された 「今」、わたくしたちは新たな決意のもとに「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」(井上ひさしの言葉)をモットーに、非戦力を再び獲得するための長い闘いを始めなければならないと思います。

桜のように散り際が美事な国民性には別れを告げ、竹のようにしなやかに強く生きていこうではありませんか。

そのような時に、あなたとともにあって、あなたを力づけてくれるはずの本を選びました。
――加藤陽子

7.23.2014

修道院のレシピ:電子化記念!特別レシピ公開

猪本典子

『修道院のレシピ』(2002年、朝日出版社より刊行)は、フランス・ブルターニュ地方の修道院で開かれていた花嫁学校のお料理のクラスで使われていた教本 COURS DE CUISINE の全訳。500に及ぶレシピのほとんどは、フランスのふつうの家庭で食べられているお料理です。邦訳の刊行から10年以上が経ちますが、いまだに版を重ねているロング・セラーです。

『修道院のレシピ』
書籍版:
朝日出版社ウェブサイトAmazonhontoジュンク堂書店紀伊国屋書店
電子書籍版:
honto楽天ブックスBookLiveE-honebookjapan

今回、この本が電子書籍になりました。これを記念して、本の中から特にご紹介したいレシピを、著者の猪本典子さんにご紹介いただきます。料理の写真も、猪本さんの撮りおろしです。(編集部)
このページのもくじ

猪本典子さんより


「フランス料理を好きになってくれる人が増えれば」とあとがきを結んだ『修道院のレシピ』も出版から12年。干支が一巡する間、フランス料理に愛着を覚えた人はどれくらい増えたのだろう。

まず身近な人たちに大きな変化がひとつ。クスクスに添えると粟や稗だと多くの中年男性に不興をかったスムールも、目先を変えてタブレ(修道院のレシピ p.114)にすればまあみなさん、食べず嫌いであったことに気づいたり。そうなんですね、いくらパスタと同じセモリナ粉が原料だと説明しても、思い込みというものはなかなか振り払えないもので。ようやくスムールに対しての変な先入観がなくなったといえるのかもしれない。

ビストロもずいぶんと増えましたね。ステーキにフリッツやサラダを添えたものを気軽に食べることができ、おかげでフランス料理=ソースがたっぷりかかったもの、というこちらの印象も払拭された様子だ。

フレンチトーストもここ数年よく話題になるが、これもパン・ペルデュ(p.270)というフランスのおばあちゃんの智恵のような一品だということを、もちろんご存知でしょう。

フランスでも鮨に始まり今では餃子や丼もの、弁当(?!)まで大いにもてはやされる日本食、日本でもまずは第一歩、件の通り余分な偏見が取り除かれ、フランス料理のおいしさに気づく人が増えていくに違いない。ちなみにお菓子の分野ですが、今年中にゴーフルのブームがやって来るとそんな気がするんですがね。

さてそんな状況で、今回『修道院のレシピ』の電子版が配信される。以前からオーヴンの温度についての質問が多々あったが、やはり電気とガス、大きさ、個々の癖などで設定温度を明確にはできないのだ。中温、高温、時間などの表記を目安にしていただいてというほかない。ただ、どうしても解りづらいという箇所についてはオーヴンの温度以外にもこちらでお答えしようと思っているので、質問をお送りいただけましたら。